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今日から8月です

8月になるとテレビや新聞などは、原爆や終戦の特集になります。
先日、私の母の元へ大和ミュージアムから電話があったそうです。
少し前、母の卒業しした女学校の同窓生らの戦争体験をつづった本を作り
これを市の図書館に寄贈していたところ、
それを見た大和ミュージアムの人が、その体験談を大和ミュージアムで流したいので
母に語って欲しいとの事だそうです。

私の母は、昭和20年7月1日呉の大空襲で焼け出され
広島の親戚を頼って行った先で被爆しました。
と、言っても母自身は原爆投下時は、学徒動員で
呉の海軍工廠へ行っていたので助かりましたが、
夜、帰りの電車が動かず、海田から広島へ歩いて帰った時
私たちが原爆資料館などで見るよりも、はるかに凄い光景がそこにはあったそうです・・・・。
私の祖父は大竹へ買出しに行っていた為に助かり、
原爆投下時に直接いたのは祖母だけでしたが、
幸い頭に軽いやけどで済んだそうです。
しかし、この時祖母は子守りをしていましたが、背中に背負っていた赤ちゃんは
残念ながら亡くなってしまったそうです。
別に祖母の責任ではないのですが、祖母はこの事をかなり気に病んでいたそうです。
原爆投下の際のきのこ雲は、母のいた呉からもはっきり見えたそうです。
広島から30km以上離れた呉でも、きのこ雲が見えたと言う事は
その威力がいかに凄かったと言う事がわかります。
母によると、きのこ雲はピンク色をしていて
何か凄い爆弾が落ちた事は分かったそうですが、
あんな事になっているとは、誰も想像出来なかったようです・・・。


私は小さい頃から、母からいろいろな戦争の話を聞いて育ちました。
近所の自治会長さんが立派な防空壕を持っていて、
何かあったらいつでもどうぞと言われていたのですが、
呉の大空襲の時、たまたまそこには行かずに山の方へ逃げたそうです。
後日、その防壕で空襲によるあまりの高熱により
蒸し焼き状態で亡くなってていた自治会長さんたちが見つかったそうです・・・。

私の母は、今まで生きて来られただけでも、
ありがたいと思わなければ・・、と
よく言っております。
そんな母の証言は、8月5日から大和ミュージアムで流れるそうです。

by echumaruma | 2005-08-01 09:33 | ちょっとしたニュース